10.14.2012


古いですが、今年3月18日の琉球新報「論壇」に私の寄稿文が掲載されたので、アップします。

琉球新報 論壇 3月18日
全文はブログ本文参照。
タイトルはズバリ
 
  「若者よ、夢をあきらめるな」。

うーん、我ながら大それてますね。偉そうですね。

自分でつけたタイトルは「若者よ、大志を抱け!」だったのですが、編集者によって変更されてました。

また当初の記事では私が天文学を目指すようになったいきさつや、天文学のことを書いていたのですが、ちょうど新年度(4月)の直前だったので、若者へのメッセージも書いてほしい、と言われ私の赤裸裸な体験談を含んだ内容になりました。




私の文章がきっかけで誰かの「挑戦する勇気」が0.1%でもアップできたら、嬉しい事この上ないです。

ちなみに記事では「若者」と書いてますが、年齢に限らず私は永遠に若者の気分でいようと思っています。
実際、私の母のほうが私よりも数十倍若く、エネルギーに満ちあふれ、いろいろなことに挑戦しています(笑)。


以下、記事全文です。
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嘉数悠子 (かかず ゆうこ) 
シカゴ大学 天文学・天体物理学研究科 研究員
カヴリ宇宙物理学研究所 準フェロー


 「21世紀の宇宙開発へ向けて」 

中学二年時に参加した県弁論大会での私の題名である。かれこれもう20年以上も昔のことだ。我ながらなんて大それたテーマを選んだものだと思う。

宇宙に興味のあった私は科学雑誌ニュートンを読むのが習慣だった。

いやほとんど中身は理解していなかったので、読むというよりはきれいな天体画像を眺めていたというのが正しいだろう。

ある日、いつものようにニュートンを眺めていたら、米航空宇宙局(NASA)主催のスペースキャンプの広告が目に留まった。青少年向けの体験学習で、宇宙飛行士の基礎訓練を受けるプログラムだ。

Space campのウェブサイトより
http://www.spacecamp.com/










早速私は両親に懇願しスペースキャンプに参加することになった。
当時の自分の大胆さ、いや無謀さにも驚きだが、私の願いを快く受け止めてくれた両親の度量の大きさにはいくら感謝してもしきれない。
 

初めてのアメリカ。
集団生活。
宇宙飛行士のシミュレーション訓練。


何もかもが新鮮で、毎日が感動の日々で、毎朝寮で流れた音楽すら未だに覚えているくらいだ。

「将来宇宙に携わった仕事をするぞ」という決意のもとに沖縄に帰ってきた私は前述の弁論大会に出場したのだった。


だが天文学者になろうと決意した私に立ちふさがったのは理数系科目だった。


天文学は高校では地学の授業で教えられるが、実際の研究は物理が土台であるため大学では物理学科に属することが多い。

元々文系人間で理数系が苦手だった私にとって、それは決して易しい道ではなく、大学受験は前期試験であえなく破れ、後期でなんとか第二志望の大学に入りこんだものの、物理系はすでに満員で化学系へ。入学翌年に転学部試験を受けてなんとか物理学科に移ることができたのだった。


けれど「好きこそ物の上手なれ」とは本当なのかもしれない。


気がつけば私はハワイ大学で博士号を取得しパリ、カリフォルニアを経て現在はシカゴ大学にて研究を行っている。120億光年先の銀河をハッブル望遠鏡や日本が誇るすばる望遠鏡、そして最近では南米チリの望遠鏡を使って観測し研究している。


海外生活もすでに11年目。
私が今まで住んできた街と街の間の総距離は6千里(=2万4千キロメートル) を超える。

私は今の若者に伝えたい。決して夢をあきらめないで、と。
自分には無理などと初めから決め込まないで好きな道をとことん突き進んで、と。

たとえやりたいこととは違う別の道に進むことになったとしても、それまでの努力は自分の中にしっかり刻み込まれるし、培った知識や能力は思いも寄らないところで発揮されるだろうから。


普段の私の生活はプログラミング、データ解析、論文書き、とデスクワークが主で天文学者は世間で思われているほどロマンティックな職業ではない。とはいっても宇宙は広大で未だにわからないことだらけ。そしてだからこそ楽しい。

ウチナーンチュ天文学者の世界放浪研究旅はまだまだ続きそうだ。



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4 件のコメント:

  1. 初めまして!嘉数さん。うちなーんちゅの物です(^^)
    今年の春、琉球新報の嘉数さんの記事を読んでとても感動しました!沖縄出身の女性でこんなステキな天文学者がいるんだ!と言う事もそうですが・・文系女子で理系は苦手なのに、宇宙が好きで天文学を学びたい一心で文系から理系へシフトチェンジするなんて・・・!なんて素晴らしい!きっと相当な努力をなさったんだろうなぁ~。と・・何故か涙が出ました(笑)
     私には高校3年生の娘がいます。彼女は当時(嘉数さんの記事が掲載された3月)アメリカへの交換留学中で、帰国後の進路の事やいろんな事を親の私が勝手にあれこれ悩んでいました。でも、嘉数さんの記事を読んで「こんなバイタリティーのある女性になって欲しい!!」と勇気をもらいました。
    帰国した今、娘は将来の夢に向かって現在受験勉強の真っ只中です。
     今、我が家の一番目立つトコに嘉数さんの記事の切り抜きが貼ってあります。娘は悩んだり苦しかったりする事もあるようですが、嘉数さんの書いた文章に沢山、励まされているようですよ!(^^) 本当に「若者よ、夢を諦めるな!」ですよね!
     長々と拙い文章でホントに申し訳ありません(笑) 
     嘉数さん!遠い沖縄から応援しています。頑張って下さいね。私の娘も将来、再びアメリカへ留学する気マンマンのようです。嘉数さんのような女性に成長して欲しいな~。

    返信削除
    返信
    1. taeさん

       こんな素敵な、私の身に余るコメントを頂いて、身が引き締まる思いです。
      私が沖縄でまだ学生だった頃は、「これだから沖縄は。沖縄の人は。」と、”学力の低さ” や ”のんびり気質” を日本本土から来た先生に頻繁に指摘されていたので、引け目のようなものを感じていました。 

      今の沖縄の若い人、特に女の子にはそういう引け目、劣等感などを感じず、のびのびと羽ばたいて欲しいなぁ、と思ってます。コトバの持つ力って大きくて、あなたは出来ないのよ、と他の人(特に学校の先生)に言われ続けてると、無意識の中で「そうか、自分は出来ないんだ。」って思い込んでしまうんですよね。

      とまぁ確かに嫌な先生(!)もいましたが、すごーーく親身になってくれる素晴らしい先生方にも恵まれました。考えてみればまだ私が中学生だった頃、宇宙関係の仕事をしたい! って言ったときに誰も笑う人がいなかったんですよね。 それどころか皆、真剣に聞いてくれて。環境に恵まれていたのだと思います。(おじぃには 女なのになんで内地行くねー? と言われましたが、世代による考えの違いですね。(笑))

      可愛い子には旅をさせよ、とはよく言われますが、若い頃得た経験というのはかけがえのないものだと思います。taeさんのお嬢さんが留学を通じて得た経験、後になって何倍にもなってかえってくると思います!

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  2. お疲れ様です。ゆうこ さん。小学校の那覇尚学院の塾 沖縄尚学中学校 沖縄尚学高校と同級生であった、いつも徐君といっしょにいた 金城です。

    お元気ですか?頑張ってますね。そして、時がたつのも早いですね。
    私は16年ぶりに沖縄に戻ってきて生活していますよ。

    高校を卒業してすぐに本土に出たので、戻ってくると不思議なもので
    みる夢はいつも高校時代の夢です。

    あなたのパワーは 学生時代から すごいものがありました。
    博士になっても情熱を人類のため、地球のために使うのは感銘をうけます。

    沖縄に一時的にも帰ってくることはあるのでしょうか?いろいろききたいですね。
    また、コメント書きますね。

    光GENJI より^^

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  3. わーーー! もしや金達君? 
    コメントありがとう、とっても嬉しいです。

    沖縄にはもうかれこれ2年も帰っていないので、今年こそ帰省する予定です。
    Facebookやってたら、是非私の名前(Yuko Kakazu )で検索してみて! 沖尚の中学&高校の同窓グループのページもあるよ。 

    返信削除

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