10.14.2012

パリ天文台
2007年、12月18日。

忘れもしないその日、私はフランス・パリに到着した。それから2年間のパリでの生活は、私の人生の中でのかけがえのない宝物である。世界で一番好きな街は?と聞かれたら、迷わずパリ、と即答するだろう。

パリでは楽しいこと、心が震えるくらいの感動もいっぱいあったが、つらいことも多かった。一日一日、いや一瞬一瞬を私はまさしく噛み締めるように生きていた。


2007年11月21日の誕生日にハワイ大学での博士課程審査(Defense)を無事終え、ほっと一息する間もなく、お世話になった方々への挨拶もそこそこ、審査の2週間後に私はハワイを後にした。日本での国際学会に参加し、東京のフランス大使館でビザを発行してもらい、沖縄の実家に帰る時間もなく私はそのままパリへ旅立ったのだった。


勤務先のパリ天体物理研究所 (Institute d'Astrophysique de Paris) はパリ天文台(Observatoire de Paris)に隣接しており、世界的な研究機関として知られている。パリ天文台は1667年にルイ14世の命令により建設された、大変由緒ある研究施設だ。初代所長はジョバンニ・カッシーニ。ちなみに1997年に打ち上げられた土星探査機カッシーニは氏にちなんで命名されている。

グリニッジ子午線と並んでパリ子午線も歴史が深く、パリ天文台のカッシーニ室には子午線が床面一直線に描かれている。天文台の子午線の真北にはリュクサンブール宮殿がそびえる。天文台が創設された17世紀当時は周りには何もなかったが、現代ではカフェやレストラン、お店が周りに立ち並ぶ。パリの下町商店街として有名なダゲール通りにも近い。地下鉄メトロはもちろん、パリと郊外を結ぶ列車RERの駅もすぐそばなので、立地条件としては「世界一」と言う天文学者も多い。

パリ天文台子午線室、
別名カッシーニ室にて。
研究所の最寄り駅Denfert Rochereau にあるライオンの像
「自由の女神像」で名高いフレデリック・バルトルディによる作品


それまでヨーロッパ大陸に足を踏み入れた事がない私にとって、それは新たな人生の幕開けであった。そう、私はフランスに行った事すらないのに、パリでの仕事のオファーを受け入れたのである。仕事のインタビューはインターネットTV会議を使って、真夜中のハワイから行われた。パリとハワイの時差は12時間なので、研究所の選考員の方々の都合のよい昼頃の時間、となるとハワイ時間では夜になってしまったのである。とはいっても天体観測のおかげですっかり昼夜逆転の生活が身に付いていた私にとって、早朝よりも夜のほうがありがたかったのだが。

インタビュー後に、観測中だったヌーノ(右)と
ペドロ(左)にお祝いしてもらった。
彼らは私にとっての「お兄ちゃん」的存在。
インタビューを終えて30分後にはオファーの電話が来た。
ちょうどその時、ハワイ天文学研究所でリモート観測をしていた友人のポルトガル人研究員、ヌーノとペドロに祝ってもらった。もう4年以上も昔のことなのに、その時の状況がまるで昨日あった出来事のように脳裏に浮かぶ。ヌーノはパリ天文台で博士号を取得しており、パリがいかに素晴らしい街かを力説していた。あと美味しいアップル・クランブルのタルトを出してくれる、彼おすすめのカフェも教えてくれた。



電話で話したフランス人のボス曰く、研究所では英語が公用語だから、何の心配もしなくていい、とのことだった。またパリでは英語も通じるとのこと。

その言葉を額面通りに受け取り、パリに到着した私を待っていたのはフランス語の洗礼であった。

(その2へ続く)






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