10.05.2013


イミロア天文学センターと航海カヌー

先週土曜日は、ハワイ観測所の山麓施設そばにある「イミロア天文学センター」(Imiloa Astronomy Center of Hawaii) のイベントに出席してきました。

イミロア天文学センターはハワイの伝統文化と天文学の融合を目的とした博物館、及びプラネタリウムです。

ハワイと天文学の歴史はなんと3000年以上も昔に遡ります。
そう、古代ハワイ人は優れた天文学者でもあったのです。

ハワイ人の祖先、ポリネシア人は3000年以上昔にカヌーでハワイに渡ってきました。
考古学や遺伝子学でそれは立証されています。

ポリネシアの領域は、ハワイ諸島、イースター島、ニュージーランド
の3点がおりなす三角形(ポリネシアン・トライアングル)で表される。
ロシア以上の大きさのこの海域を、古代ポリネシア人は自由に行き来していたとされる。


ところが不思議なのが、何千マイルと離れた島々の間をその時代に、どうやって航海してきたのか、ということ。

しかも太平洋では東から西へと海流が流れているので、その流れに逆らって航海する必要があります。


伝統的航海の要となったのが、実は夜空に浮かぶ星々。

Star Line と呼ばれる星々を使い、海図やコンパスなどを一切用いずに正確に方角を知ることができたのです。
Star Compass


この伝統航海術が今でも引き継がれているのが、ミクロネシアのサタワル島。

島のマスター航法士マウ・ピアイルックは風、雲、波、星といった自然環境の情報から天気を予測し、正確な方向へと航海を進めることが出来る人でした。

マウ・ピアイルグ
残念ながら2010年に亡くなられました。


1976年、マウは近代的航法器具を一切使用せず、伝統的航海術のみでハワイからタヒチ島へ渡ることに成功しました。これにより、ポリネシア人がハワイへ渡ってくることが可能だったと実証されたのです。

マウの乗った船の名前は ホクレア号
ホクレア(Hōkūleʻa) ハワイ語で 幸せの星 を意味します。

しかし航海こそ成功したものの、船内での人間関係の軋轢に辟易したマウはその後、隠居生活を営んでしまいました。

そこに現れたのが、ハワイ人のナイノア・トンプソン。
舵をとるナイノア。
頭脳明晰で知られており、ずば抜けて高いIQスコアを持つそうです。
写真:Hawaiian Voyage Traditionsウェブサイトより
http://pvs.kcc.hawaii.edu/


ナイノアはなんとかマウの許しを受け、彼の弟子となり伝統航海術を習得します。

彼はその後ホクレア号で航海長を勤め、2007年にはハワイからミクロネシアの島々を経由して、日本へ航海。

日本では沖縄、奄美大島、長崎、福岡、広島などへ寄港しました。

もしかしたら皆さんも新聞や雑誌の記事で目にしたかもしれません。

こちらは私のふるさと沖縄でのホクレア号の寄港の様子です。

写真:糸満市のHPより

歓迎セレモニーでは地元、沖縄の人々によるエイサーやフラが披露されました。

ハラウ、フラ・カラカウアによるフラ(カヒコ)の踊り


実はこの時に踊ったハラウ(フラの学校)、フラ・カラカウアには私の母が所属しています。私の母はフラをやっており、フラの大会に参加するためにハワイにも何度か来ているのです。

(追記)昨日判明したのですが、私の母も実はこの時踊ったそうです。
    写真の右端、前から2列目が母です。


私もカラカウアのクムフラ(フラの先生)には随分お世話になりました。
Ku'u Lei Hoku (=私の星のレイ)という私のハワイアンネームも、クムから頂いたものです。

博士号論文には私のミドルネームとして記入しています。

Yuko Ku'u lei hoku Kakazu です。


 ******


天文学、今住んでいるハワイ、ふるさと沖縄。

一見バラバラに見えるものが実はつながっていて、今の私を作っている。

人生っていいなぁ、と波音を聞きながら思う、ハワイの土曜日の夜なのでした。




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